新元号【令和】大伴旅人とは?太宰府天満宮の聖地巡礼スポット紹介
2019年4月1日11時半に新元号が発表となりましたね~
5月1日からは新元号【令和元年】になります。
うっかり平成って書いちゃいそうですけど・・・(汗)
新元号が令和になった経緯が気になりましたが、いったいどんな人が詠んだ歌なんでしょうね?
というわけで今回は、どんな人が詠んだ歌が引用されたのか、その歌が書かれた背景についてもチェックしてみました!
Contents
新元号【令和】が引用された万葉集とその意味
まずは新元号【令和】が引用された万葉集と、その意味についてチェックしてみましょう!
令和が引用された万葉集
万葉集の梅の花の歌からの引用ということですが、どんな歌なんでしょう?
万葉集巻五に収録された梅花の歌の「序」に載せられているそうです。
今回初めて、日本の古典から引用されることになったんです。なんだか親近感が湧きますね(笑)
この梅花の歌は32首あり、大伴旅人を中心とするグループが詠んだとされる。
漢字の音だけをあてて表記された「歌」と違い、「序」は表意文字としての漢字を使った漢文体であることも出典として適していた。
初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす
という歌から引用したということですが、いったいどんな意味が隠れているんでしょう?
新元号【令和】の意味
パッと見た感じだと、命令と調和というような「協調性を持ちなさい」的なニュアンスが感じられましたが、実際には全くちがうんですね(汗)
令=良い、尊い。
和=やらわぎ、穏やか。また、あらゆるものの調和という意味もあるそうです。
いろんな民族、人種、性質、性格の人が1つの時代に存在することが尊く素晴らしい。
というような解釈もできるそうで、
世界中の人たちが上も下もなく、70億人1人1人が尊く素晴らしいというふうに解釈してみたら、スゴイ元号だな~と感じましたよ!
新元号引用の句を読んだ大伴旅人とは?
新元号に引用された句を読んだ大伴旅人(おおとものたびと)とは、どんな人物だったんでしょう?
飛鳥時代から奈良時代(665~731年)政治家・歌人。大納言安麻呂の長男 。
神亀4 (727) 年頃に大宰帥 (だざいのそち) となって京都から九州へ移ります。
『万葉集』に長歌1首と短歌 53首、漢文の序、書簡、『懐風藻』に詩1編を残しますが、歌は大宰帥になってからのものがほとんど。(引用:一部コトバンクよりお借りしました)
大伴旅人はどんな場面でこの句を詠んだ?
調べてみると、西日本新聞社の記事にはこんなふうに書かれていましたよ。
「令和」という名前の後に「梅」という言葉を聞いた時にすぐに九州・大宰府の大伴旅人の邸宅であった梅花の宴で読まれた和歌の序文にある言葉が由来だと分かった。
年号は中国で生まれ、今では日本でしか使われていない。その日本の新しい年号に、万葉集という国民文学に出てくる言葉が選ばれたことは新しい時代の始まりを意味する。
日本書紀や古事記などではなく、ぬくもりがある、人々の情操教育に役立つ書籍から選ばれたということは非常に意義深いことだと思う。(引用:https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/498886/)
万葉集に詳しい人には、【令和】と【梅】という言葉だけで、大伴旅人の歌だと分かるというのがスゴイです(汗)
大伴旅人は無類の酒好きだった?
情感にあふれた人事詠が印象的で、中には「酒壺になりたい」という歌も詠むほどお酒が好きだったという逸話もあります(笑)
大伴旅人は万葉集の中に「酒を讃むるの歌13首」を詠んでいて
その一つに「酒の名を 聖と負せし 古の 大き聖の 言のよろしさ」(3-339)という歌があります。
この歌から、名前が付けられたお酒もありますよ!
5月1日の新元号に変わる日は、記念のお祝いにこの”極聖”で乾杯したいところです♪
旅人という名前が流行る!?
2019年5月1日以降に産まれた男の子は、もしかしたら旅人という名前をつける親御さんも増えるのではないでしょうか?
うちは女の子ばかりですが、男の子がいたら旅人ってつけたい気もします(笑)
【令和】という名前の方もいらっしゃるようですが、元号と同じ名前だと混乱することもありますからね(汗)
由来となる歌を詠んだ大伴旅人にちなんで、そのまま名前をもらうというのも意味があっていいのではないかと思います。
大伴旅人という人物は、人にとても恵まれ晩年まで大宰府という地で、苦のない人生を歩まれたので、大成を願う意味でもいいのではないでしょうか?
”太宰府”聖地巡礼スポット紹介
大伴旅人を感じつつ、大宰府を聖地を巡るスポットをチェックしていきましょう。
大伴旅人の詠んだ歌はほとんどが大宰府へ来てからで、詠んだ歌にまつわる歌碑があります。
衣掛天神(ころもがけてんじん)
衣掛天神には、大伴旅人と遊行女婦(うかれめ)・児島の歌碑があります。
凡(おほ)ならば かもかもせむを 恐(かしこ)みと 振りたき袖を 忍びてあるかも (娘子児島)
ますらをと 思へるわれや 水くきの 水城のうえに なみだ拭はむ (大伴旅人)
解説
天平2年12月、大納言になって奈良の都に帰る大伴旅とは、水城に馬をとどめ大宰府の方を振り返るのでした。
ここまで部下の官人たちや名残を惜しむ人々が見送りに来ていて、その中に児島という遊行女婦(うかれめ)も混じっていました。
彼女は太宰府館人たちの宴席に呼ばれて、歌や踊りを見せる娘子だったのでしょう。
その児島が、「旅人が大宰帥という偉い人ではなく、普通のお方であったなら、お別れにああもこうもしましょうが、恐れ多くていつもなら激しく振る袖を、今日はこらえて振らずにおります。」(太宰府市「大宰府いしぶみ散歩」『太宰府市史文芸資料編』より)
切ない歌ではありますが、その風景がとてもリアルに目の前に浮かんできます。
情緒に溢れた美しい歌ですね。
衣掛天神:福岡県太宰府市国分2丁目179
大宰府政庁跡前
こちらの歌碑に書かれた歌は
やすみしし わご大君の 食国(をすくに)は 倭(やまと)も此処も 同じとぞ思ふ
解説
神亀年間(724年 – 729年)に太宰師として赴任してきた大伴旅人が、大宰少弐の石川朝臣足人(たりひと)という方の「奈良の故郷が恋しくありませんか?」というような歌に対して、
「天皇の支配なさる土地は大和もここも同じだと思っています」と返歌した時の歌だそうです。(引用:https://dazaifu-magokorodo.com/tabitokahi)
大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと/国指定特別史跡):福岡県太宰府市観世音寺4丁目6-1
太宰府天満宮
太宰府天満宮で読まれた歌は
わが苑に 梅の花散る 久方の 天より雪の 流れくるかも
解説
雪の白さから梅の白さを連想しているだけではなく、「天空から落ちてくる」というイメージを加えることで、白色の美しさがよりいっそう際立って感じる歌です。
太宰府天満宮:福岡県太宰府市宰府4丁目7−1
九州国立博物館
九州国立博物館にある歌碑に書かれている歌は
ここにありて 筑紫や何處(いづち)白雲の たなびく山の 方にしあるらし
解説
「ここ奈良の都にいて筑紫はどの方角になるのだろう。白雲のたなびく山の彼方にあるらしい。」と、遥か遠く山の向うの沙弥満誓のいる筑紫に思いを馳せた一首となっています。
旅人にとって老境の身で赴任させられた大宰府での日々は、着任早々に最愛の妻を亡くし、自分の不在中の都で長屋王が策謀によって死に追いやられるなど不本意で悲しい出来事の多いものでした。
そんな中で沙弥満誓や山上憶良らとの酒を呑み交し歌を詠ったひとときが、唯一心を慰めてくれるものだったのでしょう。
そんな辛い時期に自分の側にいて心を慰めてくれた友たちのことは、どんなに遠くに離れていても旅人の心を離れることはなかったのではないでしょうか。(出典http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu4_574.html)
九州国立博物館:福岡県太宰府市石坂4丁目7−2
新元号の由来となった、旅人の歌碑が置かれている聖地を巡ることで、新しい年をより身近に感じることができそうですね!
まとめ
いかがでしたでしょうか?
これまで行ったことのない場所でしたが、今回調べてみてぜひ2019年のゴールデンウィークを利用して行ってみたいと思いましたよ!
今回のGWは10連休だそうなので、これから計画を立てると言う人には、太宰府天満宮がおすすめです♪
ぜひ新元号と大伴旅人にちなんだ聖地巡礼を満喫してみてはいかがでしょうか?
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